強くあろうとする強さ
不安な要素はたくさんあります。
私の場合は
・体調がいつ回復するのか、いつになったら悲しくなくなるのか
・どういう状況にトラウマトリガーが潜んでいるのかわからない恐怖
・裁判を開始した場合、裁判はいつ終わるのか
・全裁判が終わって最高裁で判決が出たら、このトラウマは楽になるのか
・加害者が捕まって実刑がついたら、もうこの社会は安全なのか
・なにをゴールとしてなにと戦っているのか
などです。
未来が見えない状況、答えがパッと、今段階で見つからないからこそ、不安なんだと思います。こうやって可視化できるように、文章にしていること自体が、自分を沼から抜け出す助けになっているように感じます。
何より、自分の中だけに留めておいてしまっては、状況が何も変わらない新たな理由を作ってしまうことになります。加害者に加担することとなってしまうし、別の誰かが被害に遭うことに対して、加害者を支援している状況になってしまう。それが怖いので、このようにブログを書くことは、精神安定を保つ1つの術になっているのかもしれません。
もし、誰か、適切な人の目に留まれば、私の見ている社会は一気に好転するかもしれない。被害を受ける前の、自分を救うことができるかもしれない。
被害にあった23歳ー24歳の時は、抗うことができなかった何かに、今やっと立ち向かうことができるかもしれない。そういう希望を込めた、ブログでもあります。
被害を受けた人が「強くあろうとする強さ」に、勇気をもらいます。私も、こんなにもボロボロで泣き虫で、いまにも倒れそうなぐらい弱っちいのに「強いね」と言われることがあります。
それは、私が強くあろうとしていることが、強い人であるかのように見えているだけなんだと思います。私が強いのでは決してなく(身近な人ほど知っていると思います)、そして強い人が凄いのではなく、強くあろうとする意志が尊いものだと思っているから「強く見える」んだろうと思います。
私はいま幸いにも「強くあろうとする強さ」をもった人に囲まれていて、そのことから、被害についてこのように書くことができるほど、精神的に少しづつ安全を取り戻しているところです。私が周囲に助けられているように、私が強くあろうとしているこの態度が、誰かの助けになればいいなと思います。